『冒険する組織のつくりかた』を読むシリーズ 1:戦場を捨て、冒険へ出よう

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「”会社にいる自分”に違和感がある——」

まじめに働いている。成果も出している。それなのに、どこか息苦しい。自分の人生を生きているというより、会社から与えられた「役割」を演じている感覚がある。

その違和感の正体は、一体何なのでしょうか。

組織開発・人材開発の実践者として知られる安斎勇樹氏の著書冒険する組織のつくりかたは、多くのビジネスパーソンが抱える「正体不明のモヤモヤ」への問いかけから始まります。

本書の「はじめに」で描かれるのは、「戦場」ではなく「冒険」という世界観への転換です。

それは、「働くとは何か」「組織とは何か」という根本的な問いを力強く投げかける提案でもあります。

本記事は、『冒険する組織のつくりかた』のエッセンスを章ごとに紐解くシリーズの第1弾。今回は「はじめに」の内容の解説と考察をまとめていきます。

目次

『冒険する組織のつくりかた』の情報

  • 著者:安斎勇樹
  • 出版社:テオリア
  • 発行日:2025年1月26日
  • A5判:448ページ

Source:テオリア

まいたぬき

本書は、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2026」のマネジメント部門第1位に選ばれています1

「はじめに」の概要:今こそ組織のOSを入れ替えるとき

私たちは日々、組織が求める「役割」を無意識のうちに演じています。

期待に応えようと努力し、「良き組織人」になろうとする。しかしその過程で、本来の自分とのズレが少しずつ広がっていく。気づけば、「これが本当にやりたいことだったのか?」と立ち止まっている——。

安斎氏は、その違和感の正体を「世界観のズレ」にあると指摘します。

「働く個人が持っている世界観」と「組織に蔓延している世界観」とのあいだのミスマッチが広がった結果、「”組織に所属する自分”がどうにもしっくりこない……」という人が増えているわけです。

安斎勇樹『冒険する組織のつくりかた』P.9

問題は、個人の能力や仕事に対する意欲ではない。私たちが無意識に共有している“前提”そのものが、すでに時代と合わなくなっているのではないか。それが本書の出発点です。

「軍事的世界観」という組織のOS

安斎氏によると、現代の多くの組織は軍事的世界観という古いOSで動いています。

  • 軍事的世界観
    限られた市場の中で、兵力(社員)を率いて、敵(競合)にいかに勝利するかを考える世界観

この世界観では、社員は目的達成のための「戦力」として扱われます。個人の好奇心や内発的な動機は後回しにされ、「勝つために何をするか」が最優先になります。

もちろん、ビジネスに競争は存在します。しかし、それを唯一の前提にしてしまうと、組織は次第に息苦しいものになっていきます。

成果は出ているのに、どこか満たされない。その背景には、普段は意識されることのない「軍事的世界観」があるのかもしれません。

キャリア観の”コペルニクス的転回”

一方で、コロナ禍などをきっかけに、「働くとは何か」を見つめ直す人が増えました。

その結果、私たちのキャリア観は「会社中心」から「人生中心」へと大きく転換しつつあります。

  • 会社中心のキャリア観
    • 「企業戦士」として自分を押し殺し、会社から与えられた役割を全うするのが当たり前とされる考え方
  • 人生中心のキャリア観
    • 幸せな人生を送ることが目的であり、会社はあくまで人生の構成要素の1つと捉える考え方

これまで当たり前とされてきた前提を問い直し、視点そのものを逆転させることを「コペルニクス的転回」といいます。もともとは、天動説から地動説へと世界観を一変させた天文学者コペルニクスに由来する言葉です。

「会社のために自分がある」のではなく、「自分の人生のために会社がある」。

この主客の逆転こそが、本書で語られる“コペルニクス的転回”であり、現代を生き抜くための鍵となるのです。

「冒険する組織」へのパラダイムシフト

個人のキャリア観が「会社中心」から「人生中心」へと変化したことで、従来の組織が前提としてきた「軍事的世界観」は、個人の価値観との間にズレを生み出すようになりました。

このズレを解消するためには、世界観そのものの転換――すなわち「パラダイムシフト」が不可欠であると、安斎氏は述べています。

では、軍事的OSに代わる新しいOSとは何か。それが本書で提案される冒険的世界観です。

  • 冒険的世界観
    不確実な世界で、自分なりの目的を探究しながら、新しい価値を生み出していく世界観

「冒険的世界観」において、社員は「兵力」ではなく「冒険者」です。

未知の世界を切り拓くように、それぞれが自分自身の問いを持ち、仲間と協力しながら価値を創造していく。その世界観を共有し、誰もが自然体でいられる組織――それこそが、本書のタイトルにもある冒険する組織です。

そして、その核心にあるのが全員が自己実現をあきらめないという姿勢です。

また、冒険する組織のなによりもの核心は、全員が・・・自己実現をあきらめない」ということにあります。
現場で働くメンバーはもちろんのこと、「自己犠牲的な調整役」に自分を押し込めがちなマネジャーたち自身も、”偽りのペルソナ”を身につける必要がなくなります。
冒険する組織とは、マネジャーが「自然体」でいられる会社でもあるからです。

安斎勇樹『冒険する組織のつくりかた』P.18

冒険する組織は、経営層や管理職が一方的に設計するのではありません。現場メンバーも組織づくりの当事者として関わり、日々の実践の中で少しずつ職場をアップデートしていく。その積み重ねが、組織のOSを書き換えていくのです。

個人的な感想と疑問点

本書の「はじめに」を読みながら、いくつかの疑問が浮かびました。

  • なぜ「軍事的世界観」で企業戦士は成立していたのか?
  • 「全員が自己実現をあきらめない」は本当に達成されるのか?
  • 「マネジャーが自然体でいられる組織」は成り立つのか?

ここからは、上記の問いに対して、私なりの意見も交えて考えてみたいと思います。

なぜ「軍事的世界観」で企業戦士は成立していたのか?

24時間働けますか」という栄養ドリンク「リゲイン」のキャッチコピー2で象徴されるような、かつての軍事的世界観において、なぜ人々は“企業戦士”として走り続けることができたのでしょうか。

現代で浸透しつつある「人生中心のキャリア観」をごく自然なものに感じる私にとって、以前は「会社中心のキャリア観」が主流だったことが、少し新鮮に感じられます。

その背景には、終身雇用や年功序列が当たり前だった時代状況があると思います。「会社に尽くせば将来は安泰」という前提が広く共有され、転職も一般的ではなかった当時、「企業戦士」として生きることは、極めて現実的で合理的な選択だったのかもしれません。

さらに、当時は「仕事と人生の境界線」を今とは違う形で捉えていた可能性もあります。

当時は「1日8時間」といった区切りで仕事を捉えるよりも、むしろ「起きている時間はすべて仕事」という感覚が強かったのではないでしょうか。

休日ですら「仕事から完全に離れる時間」ではなく、「次の仕事に向けた準備・学習期間」という位置づけだったのかもしれません。

こうした時間感覚は私生活を犠牲にする一方で、仕事を通じてできることが増えていく「自分の成長」をダイレクトに感じられる環境でもありました。その成長実感そのものが内的な報酬となり、走り続ける原動力になっていたのではないでしょうか。

実際に、当時を振り返って「確かに苦しかったけど、今考えると、仕事で成長する良い経験にもなった」と、かつての経験を肯定的に語るリゲイン世代の方の話も耳にしました。

つまり、軍事的世界観は単なる抑圧だけではなく、こうした「成長実感」と結びつくことで機能していたのではないか。そのような側面も見落としてはいけないと感じました。

「全員が自己実現をあきらめない」は本当に達成されるのか?

冒険的世界観の核心にあるのが、「全員が自己実現をあきらめない」という姿勢です。ただ、ここで素朴な疑問が浮かびます。

そもそも組織は、役割分担や制約の中で成り立つ以上、誰かに負担が偏ったり、どこかにしわ寄せが生まれたりすることもあります。そう考えると、「全員が自己実現をあきらめなくていい組織」というのは、どこか理想論のようにも感じられます。

しかし、読み進めるうちに、「全員が自己実現をあきらめない」という言葉に対する捉え方が変わりました。

「冒険する組織」に終わりはなく、大切なのは「全員が自己実現をあきらめない状態」に近づこうと試行錯誤を重ね続けること。そのプロセス自体に意味があるのだと解釈すると、この考え方が腑に落ちました。

本書では、自己実現を「自分の好奇心(内発動機)に基づく活動が、他者や社会への貢献、さらには報酬と結びついている状態」(P.97)と定義しています。

つまり、ここで言う「自己実現」とは、単なる「自己満足」ではなく、個人の内発的動機と、社会的価値が接続されている状態を指します。

そう考えると、「全員が自己実現をあきらめない」という言葉は、到達すべきゴール(完成形)というよりも、組織の進む方向を示す指針(羅針盤)に近いものだと理解できます。

ゴールを実現できるかよりも、その理想に近づこうと試行錯誤する。そうしたあり方を目指す組織こそが「冒険する組織」なのだと思います。

「マネジャーが自然体でいられる組織」は成り立つのか?

「マネジャーも自然体でいられる組織」というのは、とても魅力的なビジョンだと思います。しかし、現実的に考えると、いくつか難しい点もありそうです。

もしここでいう「自然体でいられる」が、「管理や調整が得意で、それを無理なく担える人がマネジャーを務める」ことを指すのであれば、大きな問題は起きにくいかと思います。

しかし、能力や経験がまだ十分ではないが「マネジャーに挑戦したい」というメンバーがその役割を担う場合、本人にとっても組織にとっても負担が大きくなり、結果として組織が不安定になる可能性もあります。

かといって、「あなたにはまだ早い」とマネジャーになる機会を与えなければ、その人の自己実現を阻むことになります。この「本人の意志」と「組織の安定」のジレンマについては、どう考えればよいのでしょうか。

おそらく、先ほどの議論と同様に、「マネジャーが常に自然体でいられる」というゴールの到達を前提とするのではなく、そこに近づくためのプロセスが重要なのだと思います。

とはいえ、そのように考えると、「マネジャーが自然体でいられるようになる日は、いつまで経っても訪れないのではないか……」という気もします。

その点について、本書がどのような具体策を示しているのか。今後の議論への期待を抱きつつ、読み進めていきたいと思います。

まとめ:戦場から冒険へ

会社に自分を合わせるのではなく、人生の中に会社を位置づける。市場を奪い合う「戦場」ではなく、価値を探究する「冒険」へシフトする。

「冒険する組織」とは、完成された組織のことではなく、「全員が自己実現をあきらめない」ために試行錯誤し、変化し続ける組織なのだと感じました。

次回は、序論で提示される「軍事的世界観からの脱却」について、さらに掘り下げていきたいと思います。

  1. 【受賞】安斎勇樹著『冒険する組織のつくりかた』が「読者が選ぶビジネス書グランプリ2026」マネジメント部門第1位に | 株式会社MIMIGURIのプレスリリース ↩︎
  2. Wikipediaの記事によると、「24時間戦えますか」の真意は、「24時間働くこと」ではなく「仕事も遊びも含めて、24時間充実した生活ができますか」というものだったそうです。 ↩︎
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