「いつもありがとうございます」

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会社の近くにタリーズがある。仕事の合間に、たまに立ち寄る店だ。

その日も、なんとなくやる気が出なくて、気分転換に足を運んだ。

いつも通りに注文を終え、レジの横でぼんやりと出来上がりを待つ。しばらくして、カウンター越しにテイクアウト用のカップが差し出された。

「いつもありがとうございます」

見覚えのある店員さんが、そう声をかけてくれた。

何気なく添えられた「いつも」という三文字。その響きに、私はどこか不思議な温もりを感じた。

もしかすると、この言葉には、単なる感謝以上の何かが秘められているのかもしれない。


かつて私も、大学構内の売店でレジのアルバイトをしていたことがある。

夜型の私にとって、朝9時からのシフトに間に合わせるために早起きするのは、なかなかつらいものだった。それでも、眠い目をこすりながら出勤を続けていた。

ぼんやりとした頭でレジに立っていると、決まって同じ時間に来るお客さんがいた。

缶コーヒーを一本だけ買っていくその男性学生を見かけるたび、私は内心で「あ、いつもの人だ」と思っていた。私の中でその人は、いわゆる「常連さん」であった。

本来、店員と客は通りすがりの関係にすぎない。名前も知らなければ、深い関わりも生まれない。それでも、何度か顔を合わせるうちに、「いつも見かけるあの人」として、互いの脳裏に刻まれる。

もしかすると、その男子学生も私のことを「いつものレジの人」と思っていたかもしれない。

たとえ関係性が希薄であっても、顔を合わせるたびに、記憶は確かに積み重なっていく。

そう考えると、「いつもありがとうございます」という言葉は、その記憶の蓄積が言語化されたものではないだろうか。

店員にとって客は、基本的にはサービスを提供する対象であり、日々通り過ぎていく「大勢の中の一人」である。しかし、「いつも」という一言が加わるだけで、その関係性はわずかに変化する。

それは、単なる形式的な挨拶を超え、相手の存在を「客」という記号ではなく、一つの輪郭を持った「個」として認める行為へと昇華されるのだ。

当時の私はというと、その常連さんに「いつもありがとうございます」と告げることはできなかった。
なんとなく気恥ずかしかったのか、あるいは単に何も考えていなかっただけなのか、今となっては思い出せない。

しかし、言葉にならなかった記憶もまた、私の中に確かに存在している。だからこそ、今度はその蓄積を言葉にして届けたいと思う。

本ブログを訪れてくださる皆さまへ。
皆さまは私にとって、単なる「読者」という記号を超えた、大切な存在です。

いつもありがとうございます。

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