本書の主張を私なりにざっくり書くと、以下のようになる。
ケンブリッジ大学で実践されている「コミュニケーションを中心に据えた学び」こそが、自分の人生を形づくる「本質的な学び(=最高峰の学び)」である。
本書における「本質的な学び」とは、「知識を自分の中に取り込み、自分の言葉で語れるようになること」と説明されている。つまり、「知識をただ覚えるのではなく、自分の興味や感情を重ね、時には驚きや感動を伴いながら、自分自身のものとして吸収していく過程」のことである。
そして、その「本質的な学び」を支えるのが「コミュニケーションを中心に据えた学び」だという。最初は他者との会話や対話から始まり、最終的には特別な人間関係で成り立つ「学びのチーム」へと発展していく。
この記事では、ケンブリッジ大学での実践が描かれた本書の内容をもとに、自分自身のこれまでの学びを振り返りながら、社会人が対等に高め合える「学びのチーム」を作るために何をすべきかを考えてみたい。
『あなたの一生を支える 世界最高峰の学び』の情報
- 著者:飯田史也
- 出版社:日経BP
- 発売日:2026年1月9日
- 判型・ページ数:四六・264ページ
Source:日経BOOKプラス
共習する(共に学習する)
本書を読んで思い出したのが、中原淳先生の「働く大人の学び」に関する知見だった。
2025年に出版された著書『学びをやめない生き方入門』では、個人の「幸せの実感」と「仕事での活躍」を両立させている人に共通する学習行動として、以下の5つの項目を挙げている。
- 共習する
- ゆるく続ける
- ミーハーする
- 逆境する
- 学び結ぶ
この中の「共習する」とは「学びを周囲と共有し、共に成長していく姿勢」を意味しており、本書の「コミュニケーションを中心に据えた学び」と近しいアプローチであるといえる。
共習を通じて周囲から刺激を受けることで、学習へのモチベーションを維持できる。また、他者の知識や異なる視点に触れることで、自分だけでは思いつかなかった考え方を自然に吸収することも可能である。
もちろん、一人で静かにテキストと向き合う時間も大切であるが、誰かと「共に学ぶ」ことで得られる知識や経験の広がりは計り知れない。
“Theory” と “theory”をつなぐ
しかし、ただ仲間を集めて勉強会を開くだけでは、互いの学びを深め合う「学びのチーム」にはならないのではないだろうか。
ここからは、本書の主張というより、本書を読んで私自身が考えたことを書いていく。
私自身、社会人になってから参加した読書会や、コミュニティの勉強会などで多くの学びを得てきた。しかし、それが自分の血肉となるような「本質的な学び」に繋がったかというと、正直なところ、あまり実感が湧かない。
これについて改めて考えてみると、サークルや読書会には、コルトハーヘンのいう「Theory(理論)」を教えてくれる人がいなかったからではないか、と思った。
- Theory(大文字):専門家が体系化した「学術的な理論」
- theory(小文字):個人の経験に基づく「持論や経験則」
読書会や勉強会のような場では、参加者同士の「theory(経験則)」を共有することが醍醐味であり、それ自体にも大きな価値がある。
しかし、それだけでは「そういう考え方もあるね」という、その場限りの気づきにとどまりやすい。そこに「Theory(理論)」の視点が加わることで、参加者の個別の経験が整理され、より一般的な知見として昇華される。
思い返してみると、大学の研究室で教授とディスカッションしたときは、研究分野における専門知識だったり、研究者としての物事の捉え方だったり、教授自身の”哲学”だったり、いろいろと質の高い学びがあった。そのときに得たものは、その場限りの知識ではなく、今の自分の活動にも確実に活きている。
つまり、互いの学びを深め合う「学びのチーム」には、個人の経験から生まれる「theory」と、それを体系的な理論である「Theory」に結び付ける仕掛けがあって、初めて機能するものなのではないだろうか。
そして、その仕掛けを作るうえでは、「Theory」との接続をもたらしてくれる仲間との関係が重要になる。
ソーシャル・キャピタルと文化資本
では、どうすれば「Theory」との接続をもたらしてくれる仲間と出会い、「学びのチーム」を作ることができるのだろうか。
本書に登場する概念の1つに「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」がある。本書では、これを「自分がどれだけ『すごい人』に囲まれているかを示す指標」(P.253)と分かりやすく表現している。
そして、著者は「このソーシャルキャピタルの構築こそが、最も難しい「最後の関門」となります」(P.254)と述べている。実際、ケンブリッジ大学のような環境にいない私たちが、”すごい人”たちに囲まれるのがいかに難しいかは、容易に想像がつく。
子どもの頃とは違って、社会人の人間関係には「お互いにとってのメリット(Give & Take)」が必要になってくる。そのため、一方的に「教えてもらう」だけの関係ではなく、自分自身も「相手に何かを提供できる存在」でなければ、対等な「学びのチーム」は成り立たない。
上記の「ソーシャル・キャピタル」という言葉は、もともと社会学者ピエール・ブルデューが提唱した概念の1つだ。ブルデューは人間が持つ資本を「経済資本」「文化資本」「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」の3つに分類している。
「経済資本」とは、お金や不動産などの金銭的な資産のことで、その重要性は言うまでもない。「文化資本」については、元ブロガーのpha氏は著書『知の整理術』の中で、次のように説明している。
また、社会学には「文化資本」という概念がある。
pha『知の整理術』P.13
昔から、「お金持ちの子どもはお金持ちになりやすく貧乏な人の子どもは貧乏になりやすい」という事実があることが知られていて、「人間は生まれつき不平等なのではないか?」ということで問題とされている。(中略)
ただ、親から子に伝えられるものはお金だけではなくて、文化や習慣などの目に見えない要素もある。この、周りの環境から受けた文化的影響が人生を左右する、というのが「文化資本」の考え方だ。
この文化資本こそが、大人の関係における「相手に提供できる何か」のヒントになるのではないだろうか1。
たとえば、「英語を学びたい自分」と「日本語を学びたい相手」が出会えば、互いの持つ知識(文化資本)を交換し合う対等で強力な学びのチームが生まれる。あるいは語学のような分かりやすいスキルに限らず、ある業界で働いてきた経験や、趣味を通じて得た知識、研究や仕事の中で培ったユニークな視点や考え方などが、相手にとっての「学び」になることもあるだろう。
そう考えると、「優秀なすごい人たちに囲まれる」という最後の関門を越えるための最初の一歩は、新しい何かを身につけることではなく、すでに自分の中にあるものに気づくことにあるのかもしれない。本書にも書かれている通り、「一人ひとりが自分の『最もすごいこと』を見つけ、それを育てていくこと」(P.244)こそが、何より重要なのだろう。
自分は何が好きなのか、何が得意なのか、どんなときに居心地の良さを感じて、何をしているときが一番ワクワクするのか。そんなことを日々の生活の中で見つめ直し、自分にとっての「奇跡の原石」を見つけて磨いていくこと。それこそが、「最高峰の学び」へとつながる第一歩なのだと思う。
まとめ:まずできることから始めてみる
本書の魅力は、現役のケンブリッジ大学教授(日本人)が、800年の歴史を持つケンブリッジ大学の教育システムについて、「ビジネス書」という分かりやすい形式で書いている点だと思う。
著者によると、当初は英語での執筆も考えたそうだが、「日本人にこそ、この内容を知ってほしい」という強い思いから、最終的に日本語で書くことにしたという。
たしかに、ケンブリッジ大学の特別な環境と比べると、日本の社会人の日常は「本質的な学び」から遠く感じられるかもしれない。本書の取り組みをそのまま再現するのは、現実的には難しい部分もあるだろう。
それでも、「特別な人間関係を学びの中心に据える」という基本原理は、私たちの生活にも十分取り入れることができる。そして、その第一歩となる「自分のすごさ」を見つける姿勢は、日頃のちょっとした意識しだいで変えられるはずだ。
「世界最高峰の学び」に少しでも近づくために、まずは「自分のすごさ」を振り返ってみるところから始めてみたい。
- ブルデューの原義における「文化資本」は、家庭環境を通じて無意識のうちに受け継がれる教養や立ち振る舞いなどを指す。本記事では、元来の定義よりも概念を広げて、これまで自身が培ってきた教養や価値観、専門スキル、独自の視点なども含めて、社会人の学びにおける「文化資本」として捉えて使用している。 ↩︎

