仕事をしていると、他者とのコミュニケーションが難しく感じる場面が多くあります。
たとえば、私自身の経験ですが、上司から指示された通りに資料を作成したにもかかわらず、「こんな内容では使えない」と一方的に否定されたことがあります。
当時の私は納得できませんでしたが、今振り返ると、上司と私の資料に対する認識が違っていたのが原因かもしれません。
今井むつみ氏の著書『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』は、ビジネスの現場で起こるコミュニケーションの不具合がなぜ生じるのかを認知科学の視点から解説しています。
本書は、単なるコミュニケーションのハウツー本ではありません。相手と自分の「心のずれ」や「認識の違い」に焦点を当て、より深いレベルでのコミュニケーションの重要性を教えてくれる一冊です。
- 自分はきちんと説明しているのに、上司が理解してくれない
- 部下や後輩に丁寧に伝えても、思うように指示が通らない
- マニュアルを作っても、想定通りに動いてくれない
ビジネスパーソンに限らず、他者とのコミュニケーションに悩む全ての人に読んでいただきたい一冊です。
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』の情報

- 著者:今井むつみ
- 出版社:日経BP
- 発行日:2024年05月13日
- 単行本:304ページ
Source:日経BOOK PLUS

今井むつみ氏は認知科学者であり、前回ご紹介した『学びとは何か――〈探究人〉になるために』の著者です。
なぜ「何回説明しても伝わらない」のか?
本書では、「相手の話がわかる」という過程を、以下の3つに分解しています(P.27)。
- 相手の考えていることが
- 言語によってあなたに伝えられ
- あなたが理解すること
相手の話を理解する上で重要なのは、1番目の「相手の考えていること」と3番目の「あなたが理解すること」が一致していることです。
しかし、これらの障壁となるのが、認知心理学で「スキーマ」と呼ばれる概念です。
- スキーマ(知識や思考の枠組み)
「スキーマ」とは、個人が持つ経験や知識によって形成される認識や思い込みのことです。これにより、同じ言葉でも異なる解釈が生じることがあります。
たとえば、あなたは新しい企画について熱心に説明しているつもりでも、上司は過去の失敗体験から「新しい企画は経営層に受け入れてもらえない」というスキーマを持っているかもしれません。
そのため、あなたの説明を何回聞いても、否定的な反応しか返ってこないのです。
「スキーマ」は相手の言葉を理解したり、何かを考えたりする際に無意識に働くため、完全に取り除くことができるものではありません。
つまり、「言葉を尽くして説明しても、相手に100%理解されるわけではない」(P.25)というのが、他者とのコミュニケーションの大前提なのです。これが、何回説明しても相手に伝わらない理由です。
相手に正しく理解してもらうことは、相手の思い込みの塊と対峙していくことです。そして相手を正しく理解することは、自分が持っている思い込みに気がつくことでもあります。これがいかに難しいことかは、想像に難くないでしょう。
今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』P.37
そのため、「いいコミュニケーション」を行うためには、相手のスキーマを考慮に入れて、伝え方を工夫する必要があります。
「心の理論」と「メタ認知」の重要性
ではどのようにすれば、相手のスキーマを考慮して、自分の意見を正しく伝えられるのでしょうか?
本書では、スキーマの違いの他に、認知バイアス(過剰一般化、知識の錯誤など)や記憶の忘却など、「何回説明しても伝わらない」原因となる仕組みについて説明されています。
その中でも私が気になったのが、認知心理学でも重要な概念である次の2つです。
- 心の理論
- メタ認知
「心の理論」とは、「ある状況に置かれた他者の行動を見て、その考えを推測し、解釈する(推論する)」という心の動きのことです(P.173)。
たとえば、小さい子どもは、自分が大好きなお菓子を友達と分けられないことがあります。これは「友達もこのお菓子を食べたいと思っている」という相手の気持ちをまだ理解することができないからです。



「他者の視点」を理解できるのは4歳以降のことで、これは認知的な思考の中でも高度で難しいことだそうです。
そして、「メタ認知」は「自分自身の意思決定を客観視すること」です(P.179)。
たとえば、「今の私の説明は分かりにくかったかな?」と自分の行動を振り返ることができる能力も「メタ認知」の一つです。
このような「心の理論」や「メタ認知」にもとづいて相手の立場で考えることができれば、「相手の意図を読む」ことができるようになります。
つまり、相手がどのような視点で、どのようなスキーマで状況を捉え、それに対してどのような感情を持っているのかを推測することができるのです。
「コミュニケーションの達人」になるために
相手の意図を理解しつつ、同時に自分の目的も達成させることは、(皆さんもご存知のとおり)非常に難しいことです。
しかし、重要なのは、たとえ相手と認識が異なっていても、自分の意図がしっかりと伝わるように伝えることです。そして、お互いの「(認知科学的な)わかりあえなさ」を受け入れることも大切です。
「人は、何をどう聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れるのか」を知ること。そして、そうした特徴を持つ人間同士が、それでも伝え合えるように考えることが、「いいコミュニケーション」の実現には不可欠です。
今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』P.4
ときには、お互いの「わかりあえなさ」にイライラすることもあるでしょう。
そんなときこそ、「メタ認知」の出番です。あなたは相手をコントロールしようとしていませんか?
どちらか一方でも、「相手を思い通りに動かそう」と考えている限りは、真のコミュニケーションは成り立ちません。コミュニケーションの達人は、相手をコントロールしようとしていない、というのは大切な視点だと思います。
今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』P.271-272
相手をコントロールするのではなく、相手の言葉に耳を傾け、成長を見守ることが大切です。
「コミュニケーションの達人」になることは、決して簡単ではありません。しかし、その道を進むことを決めたあなたは、すでに「いいコミュニケーション」に近づいていると思います。


『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』の次に読みたい本
「コミュニケーションの達人」になるためには、他者との関わりにおける「直感」を磨くことが重要です。
本書では、この直感による意思決定を「システム1(ファスト思考)」と呼び、じっくり考える知的活動を「システム2(スロー思考)」として、この2つのシステムを理解して訓練することが、達人(プロフェッショナル)になる方法として説明されています。
この考え方は、2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマン氏の著書『ファスト&スロー』に基づいています。この本では、人間の意思決定や直感について行動経済学や認知心理学の視点から詳しく解説されています。
「システム1」「システム2」について、より深く知りたい方はぜひ手に取って読んでみてください。